ツタンカーメンの呪い?

今週は古代エジプトのツタンカーメンの話題を書いています。ツタンカーメンといえば、もう一つ有名な話がありそれは「ツタンカーメンの呪い」があります。

それは、発掘した考古学者であるハーワード・カーターのスポンサーであったイギリスのカーナヴォン卿の不慮の死から端を発した話。カーナヴォン卿は、山岸涼子さんの漫画を読むめばよくわかりますが、イギリスに城(ハイクリア城)まで持つ大富豪で、カーターの発見は彼の莫大な財政的な支援がなければ成し得なかったわけです。

ここで時系列で流れを追っていくと
<1922年>
11月 4日 石の階段を発見
11月 5日 階段を16段まで採掘、封印がなされた石の扉が現れる
11月23日 カーナヴォン卿エジプト・ルクソール到着
11月25日 第一の石の扉を破り、通廊に入る
11月26日 第二の石の扉に遭遇、扉に穴をあけて前室の内部を確認
12月 4日 カーナヴォン卿、私用でイギリスに帰国
<1923年>
 2月始め  カーナヴォン卿、エジプト再訪
 2月17日 最大のハイライトである玄室の開封
       カーナヴォン卿、ハーワード・カーター他、20人を招いて公開開封
 4月 6日 カーナヴォン卿死す

カーナヴォン卿は、2週間ほど前から高熱を出し寝込んでいた。彼はうわごとで「鳥が顔をひっかく」とうわ言を繰り返したという。医師は、顔の蚊に刺された場所を髭剃りの際に切ってしまいそこからバイ菌が入り、体力低下に肺炎を併発してなくなったのではないかと推測も、その原因ははっきりしなかった。不吉な前兆もあり、ハーワード・カーターが飼っていたインコがコブラに呑み込まれたという事件があった。エジプトの王は女神エジョの姿をしたコブラに守護されている。それゆえに王の頭飾りの前の部分にコブラの頭部を付けることが多い。ツタンカーメンの黄金のマスクも同じようにコブラの頭部がついている。

エジプトには「この墓に一度たりとも足を踏み入れる者は、余がまるで鳥を襲うようにその者に襲いかかるだろう。そして偉大な神がそのものを罰するであろう」という古来の伝承があるという。カーナヴォン卿の死以後、王墓発掘関係者の不審な死が続きます。新聞社各社は「ファラオの呪い」「ツタンカーメンの呪い」と書きたてていき、こんな東洋の国でもその呪いの話を知るようになる。

ところで、墓の前室に入ったのは22人、そこで亡くなったのは5人。王の棺を開けたの時にいたのは22人、うち死亡は2人、ミイラの包帯を外す時にいたのは10人、全員健在という。それ以外に呪いで死んだ関係者と言われたものの中には王墓に入ったこともない友人関係の死などが含まれているそうだ。

中公新書で「ツタンカーメン」の本を書いた大城道則氏は、どのように書いているのか?カーナヴォン卿の死因はわかっているし、棺を開けるのに立ち会った22人のうち、10年以内に亡くなったのは2人だけ。真っ先に呪われるはずのカーターは64歳まで生きた。「少なくともツタンカーメン王墓関係者に対して、ファラオの呪いなど存在しなかったのだ」としています。

「ツタンカーメン」の漫画を描いた山岸涼子氏は、どう描いているのか?カーナヴォン卿の死は上記で剃刀でひっかいたとしながらも、コウモリの糞にまみれて発掘する場合、呼吸器系の病にかかることがある。免疫のないものには極めて危険な作業。カーナヴォン卿は、自動車事故で呼吸器系をやられていた。王墓にはコウモリの糞とは言わないが、なんらかの微細な菌が数千年後の風にあおられて活性化した可能性もある。呪いではないと描写しています。

この発掘においてロンドン・タイムス紙は独占取材の権利を持っていてスクープ写真を数々掲載していた。人類史的発見の中、記事にできない他社の記者たちの中にはこのロンドン・タイムス紙に対抗するため、呪いと言ったような言葉で周辺のエピソードを書きたて表現した。さらには、エジプト人の立場から見ると、外国人が自国の歴史遺産のこの驚くべき発見をしたことへの、言いようのない感情のようなものもあった可能性があります。

「ツタンカーメンの呪い」の真相はどうあれ、なにか今の新型コロナウィルスを連想させ不気味な気もします。そのひとつは風評被害とメディアによる被害。コロナ感染者への偏見とこれが効くという噂が数多く飛び交った。あるいは、毎日のようにコロナ関連のニュースが流れ恐怖が世間を覆った。それともうひとつは実際の感染者について、発掘の現場に関わった者らは免疫ができていた。健常なものには軽症ですむ。しかし高齢者やなんらかの障害を抱えている者にはウィルスが危険であるという、現在のコロナの状況を反映しているような気がしなくもありません。そんなことを連想させるエピソードとして、今回このテーマを選んでみたくなりました。

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